少子高齢化 aging society with a falling birth rate 2015 1 1
私は、「少子高齢化」という言葉が、
あまり普及していなかった2003年頃から、
警鐘を鳴らしていました。
当時は、経営改革において、
「選択と集中」という言葉が使われていましたが、
それに対して、私は、
「どんなに経営改革をしても、
少子化のスピードが、経営改革のスピードを上回れば、
その経営改革は、全く意味がないものとなる」と警告しまた。
それほど、少子化というものは、恐ろしいものです。
日本において、21世紀に入って、
急速に、工場の海外移転が進みましたが、
これは、2012年まで続いた「急激な円高」が原因であると言われますが、
少子化による国内市場の縮小も原因です。
少子高齢化が支配する市場では、商品は売れず、
必然的に、供給過剰、生産能力過剰となります。
これは、デフレの原因にもなりますが、
企業としては、生産能力過剰となった国内市場から、
工場を海外に移転させることで、生き残りを図るでしょう。
日本の政策担当者には、
「少子化対策とデフレ対策は、同じ道にある」という認識がないのです。
もうひとつ、少子化の恐ろしさを書きましょう。
少子化は、地方の崩壊を招きます。
私は、これも2003年頃だったと思いますが、
少子化が続けば、「国土の均等な発達」は無理でしょう。
中核となる都市に住民を集める政策が必要であると書きました。
これは、外国に行けばわかります。
外国では、都市と都市の間には、何もない土地が広がっています。
こういう方式は、合理的と言えるでしょう。
人がほとんど住んでいない地域に、
電力や水道を供給するのは、経営的に考えれば、採算が取れません。
それを税金で行えば、巨額の財政赤字となるでしょう。
そういうわけで、都市に住民を集めるということは、
経営的にも、財政的にも、必要とされるのです。
小泉政権時代に、盛んに「構造改革」という言葉が使われましたが、
それは、「規制緩和」という意味だったと思います。
しかし、私は、「それは、違う。
本当の構造改革とは、
日本社会は、人口構造がピラミッド型であることを前提として設計されているが、
少子高齢化が進む現在、それに対応できる社会を作り直すのが、構造改革である」と書きました。
あれから10年も経過しました。
いつになったら、本当の構造改革に着手するのか。
それに、少子化対策という会議は、よく見かけますが、
実際には、少子化対策は進展していません。
「会議は踊る、されど進まず」
人口ピラミッド 2005 5 3
書名 「人口ピラミッドがひっくり返るとき 高齢化社会の経済新ルール」
著者 ポール・ウォーレス 翻訳 高橋健次 出版社 相思社
低迷する個人消費、低迷する株価、低迷する地価。
こうしたものは、バブル経済の崩壊が原因で、傷口さえ治れば、
つまり、過剰な設備、過剰な債務、過剰な雇用が改善されれば、
日本経済も、元に戻ると考えていませんか。
しかし、三つの過剰と言われた「設備、債務、雇用」が改善しても、
日本経済は、さえない状態が続いています。
バブル経済の崩壊という「外傷」に目を奪われていますが、
もっと根本的な問題が潜んでいませんか。
それは、「人口ピラミッドがひっくり返る時」です。
日本経済も、日本の社会制度も、
人口構造がピラミッド型であることを前提として、
成り立っているはずです。
そのピラミッドが、ひっくり返る時、どうなるか。